【現地探訪】旧姫街道に伝わる "服部小平太" の伝説 廃寺跡で見たものとは… [浜松市 浜名区]

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  • Опубликовано: 8 фев 2025
  • ご覧いただき、ありがとうございます。
    今回は、地元でもあまり知られていない
    「服部小平太(中保次)」ゆかりの地を巡ります。
    [浜松市認定地域遺産(建造物)]
     正明寺山門 浜名 295 R05年
    廃仏棄釈で廃寺となった刑部の宗安寺山門を移築
    【歴史遺産】

Комментарии • 6

  • @松本初義
    @松本初義 Месяц назад +1

    廃寺となった宗安寺の山門が気賀・正明寺に在ったとは知りませんでした。本堂の行先は知っていたので大変勉強になりました。

    • @local-heritage_institute
      @local-heritage_institute  Месяц назад

      コメントありがとうございます。
      本堂の行き先は存じ上げませんでした。どちらになるのでしょうか?

  • @太鼓達人-o1l
    @太鼓達人-o1l Месяц назад +1

    いや~本当に勉強になりました。
    こちらこそありがとうございます。
    十数年前から地元の神社仏閣、城跡、旧街道などに
    はまっており、あちこち行こうと思うのですが、効率が
    悪くて困っていました。
    横着するつもりはないのですが限られた時間の中、
    何か良い手だてがないかと探していたところ、貴殿の
    チャンネルに辿り着きました。
    過去配信分も含め今後も視聴し勉強させてもらいますので、
    よろしくお願いいたします。

    • @local-heritage_institute
      @local-heritage_institute  Месяц назад

      コメントありがとうございます。
      これからの季節は草や虫がいないので行きやすいですね。
      私有地立入りは土地の方の許可を得ていますが、いろいろ裏話を教えてくださる場合も多いです。

  • @theturtlemanwith3680
    @theturtlemanwith3680 Месяц назад +1

    たいへん興味深く拝見させていただきました。『信長公記』の現代語訳版では「敵、今川義元は四万五千(実際には1万5千とも)の兵を率い、おけはざま山で人馬に休息を与えていた ~ 服部春安は義元に打ちかかり、膝口を切られて倒れ伏す」とあります。この服部春安で検索してみるとWikiの服部一忠に行き当たり、一忠は忠次とも名乗り、その次男が「小藤太・勝長」と呼ばれていたようです。とすると、桶狭間の戦から27年も後ですから、もしかすると、長男の「小平太・中安次」に所領を分け与えられていたとしてもおかしくはないですよね。あと、戒名が11文字あるのもスゴイなあと思いました。
    「中保次」に名を変えたのは、秀吉の代になっても黄母衣衆に選ばれるほど武功一辺倒の厳父とは袂を分かって、生母・子供らとともに心「保」けく暮らしていたのかな~と妄想・・

    • @local-heritage_institute
      @local-heritage_institute  Месяц назад +1

      コメントありがとうございます。
      服部一族は謎が多いですね。
      裏の仕事があったりでわざとわかりにくくしているのかも…と私も妄想